めあとるーむ記録帳

なんか書く

FGOの1部が完結した

Fate/Grand Orderというゲームがある。開発はディライトワークスとタイプムーン

www.fate-go.jp

これが昨日(2016/12/25)に完結した。

完結したという表現はやや語弊があるが、諸々思ったことがたくさんあったので記しておきたくなった。

一応酒を飲み酔ったニワカ月厨が喚いてるだけなのでそれは気に留めていただきたく。

以下、FGO本編及び2015年7月から2016年12月までに行われたイベントのネタバレを含むかもしれないし、含まないかもしれない


もともとこのゲームは初期勢だった。 初期勢なので、伝説の48時間メンテや1章のワイバーン地獄、 さらには低レア配布イベントというイベントとも言えないイベントからやっている。

当時は型月(Fate)にややはまりつつのニワカだったのだが、やる夫スレ系掲示板で型月厨が多い環境にいたこともあり 興味を増しつつあった。

それはそれは、当時はあまりいいゲームとは言えないものだった。 取ってつけたようなシナリオ、慣れていないことが分かる運営の対応、 相次ぐ緊急メンテナンス。 おそらく有象無象のソーシャルゲームでもよくあるダメなゲームの形だったと思う。

恥ずかしながらゲーマーを名乗りつつ、遊んだことのあるソーシャルゲームは現状 後にも先にもFGOのみなので、比較対象はない。ただ、当時はその調整不足の難易度が 逆にゲーマー的に限られたリソースでどこまで行けるかという執念を焚き付けたのは覚えている。

途中イベントに参加しなくなったり、少しログインしなくなったりというモチベーションの上下はあったが、 そうしているうちに1年と5ヶ月ほどが経ったのだ。


型月の一番の魅力はどう考えてもきのこの文章だと思う。

良くも悪くも中二病を刺激する文章と設定、それらが綿密に組み合わさった上で王道を収めるシナリオは 最高の作品になっている。社長が惚れたのも納得である。

FGOは始まったばかりのときはソーシャルゲームの鉄則を守っていた。

それは要はログイン率を上げ、プレイ時間を増やさせる一種のノウハウだろうと思う。

例えば、3分に1回のペースで戦闘(プレイヤーの介入)を行わせる。 1つのイベント・シナリオでは一定量以下の文章に収める。などなど。

そのような決まりごとは徐々に剥がれていった。

当初シナリオは東出祐一郎さんと桜井光さん(それぞれFateシリーズの外伝を執筆)が担当し、 シナリオ監修に徹していたきのこは徐々に仕事量を増やしていった。

イベントのシナリオを書いてと言われ1日で書き上げたり、設定を作ったからイベント追加しようって言ってみたり。

文章量も徐々に増え、サービス開始1年後の2016年7月には本編6章で500kbを書き上げた (しかもマスターアップ数ヶ月前に一度全て破棄、書き直しという展開)。

イベントやシナリオでは地の文が増え、独白が増え、さらにもともとエロゲ・ノベルゲーであったノウハウを活かし イラスト・演出を豪華にしていく。おそらく振り回されたデイライトワークスは大変だっただろう。

BGMは増え、演出は豪華になり、キャラクターの魅力は極限まで磨かれていく。 ときにはひたすらキャラクターが会話するだけで戦闘すらないシーンすら追加された。 だがそういった会話の数々で、当初使い捨てにようにでていたキャラクターは イベントで掘り下げられ、設定が追加され、 加えて新たなキャラクターは全てに魅力を付与された。 終盤の本編では新旧合わせて20人近いキャラクターが動き、考え、戦い、守り、そしてほぼ例外なく散った。 とてもまともなシナリオライターでは持て余すキャラクターたちを動かしきったのだ。 動かしきって、活かして生かした上で、散らせたのだ。

某所ではシナリオマーケティングという言葉が生まれた。

シナリオ中で活躍し、それ故ガチャを回して欲しくなるというものだ。

それは高レアもさることながら、低レアとて例外ではなかった。


Fateシリーズの外伝の1つにApocryphaというのがある。

これは1つのイフの世界の話で小説版と漫画版が展開されているが、実はこれはもともと 携帯電話向けのゲームとして開発したかったものだという。 それが没となり、材料だけ用いて再度作り直した小説がApocryphaだそうだ。

おそらく、それでやりたかったことの1つが叶えられたのだろう。

最終決戦はレイドボスイベントだった。おそらく終わったらシングルモードとして実装されるが、 みんなで最後のボスと戦うという演出をしたかったのだろう。没になったApocryphaでやりたかったことだと思う。

そのお祭り感といったら、レアドロップの魔神柱が刈りつくされるという最終イベントならぬ 採集イベントなどと言われた。だが、そのお祭りから一転、終わった直後は感動の感想が流れた。

皆が盛り上がり、皆が動き、皆が感動して終わる。

終わり方としてはこれ以上のものはないだろう。おそらく最高の終わり方だ。

オンラインゲームやコンシューマーゲームでは多分ここまでの演出はできない。

1年半という短くない時間を様々な形でともにしたゲームと ソーシャルゲームという形ではおそらく最善で最高の形だと思う。

終わったあとに、余韻で残ったスタミナを消費することすらためらわせたのだから驚くべきことだろう。


物語を完結させるというのは難しい。

小説や漫画やあるいは何でもいいが、何か物語を作ろうとした場合まず難しいのは出だしだと思う。

始まりを作る。一文目、一コマ目、それらは悩んで始めることになる。

だが、それは始まってしまえばそう難しいものではない。 設定が増え、キャラクターが増え、やりたいことが増えていく。 そういうものだ。経験があればよくわかると思う。

しかし、終わらせることは難しい。

プロの作家でさえ、プロの漫画家でさえ、なんであれ、美しい終わりを作ることは至難の業だ。

一体どれだけの作品が終わることができずにいるか、終わらせてもらえずにいるか。

深夜アニメのように最終回までの話数が決まっているならいいが、 ソーシャルゲームのように人気がなくなる=終了、つまり人気がある限り終わることができないわけで、きれいに終りを迎えるのはほぼ不可能だろう。

事実、ソーシャルゲームは基本的に「イベントが本体」であり、継続的な運営によって成り立つものだ。

ましてやソーシャルゲームにスタッフロールの流れるエンディングなど普通はない(と思っている)。

だが、イベントを脇役にして、本編を主軸として、FGOは終わらせた。2部があるとは言われているが、まず終わらせた。

それも、人々を衝き動かすほどの終わり方をした。感動させる終わり方だった。

始めるのは難しいが、無理ではない。だが、終わらせるのは至難の業だと思っている。

やっていたら、どこまでもやりたくなるのが作る者の心理だ。 風呂敷は広げ続けたくなるものだ。

でも、終わらせたのだ。

蛇足もなく、やや(伏線回収の)不足こそあれど、型月では割とよくあることなので そのうち回収されるだろう。

終わらせた。それだけで賞賛に値すると思っている。


1つだけ気になることがある。

ディライトワークスの社長に庄司顕仁という人物がいる。

実は彼の名前は、ある時までFGOのスタッフクレジットに載っていた(と思う。確認ができてない)。

今はこの名前が消えている。どこにもないのだ。

そしてFGOは割とリアルのイベントを多くこなしている。ニコ生やマチアソビなど、様々な場所に出て、 スタッフも顔を出している。

だが、この人物だけはどこにも出てこないのだ。

初期の初期、型月の恥晒しとしてFGOが扱われていた頃、彼に対するヘイトは凄まじかった。

この仕事も社長(武内崇)の知り合いで取ってきたとか言う話だった。

正直に言うと完全な擁護こそできないが、しかしここまでの型月の無茶振り対応、最悪 きのこの「じゃあもうFGO畳む」という発言で本当に畳んでしまいそうな運営方針をしている あたり、小さなディライトワークスをうまく支えている人物だと思っている。

もちろん内情は全くわからないのでなんとも言いようがないが、 この人物が本当に実在しているのか、それが気になるのだ。

ともかく、彼も含め、ディライトワークスのスタッフとタイプムーンのスタッフ、 そしてFate/Grand Orderに関わったすべての関係者に感謝と敬意を示したいと思う。

ありがとうございました。私の中では、1つのソーシャルゲームの極地に至った冠位「グランド」のソーシャルゲームでした。